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飛鳥美人は二度と戻らへんねんで! [歴史]

asahi.com:白虎ほぼ消滅 高松塚古墳 - 社会


1972年の発見時に比べ、「飛鳥美人」など壁画はいずれも黒ずみ、描線が薄れるなど、劣化に歯止めがかかっていない

中でも白虎は、目や首などのごく一部を残し、ほぼ消失

画はいずれも墨を吹き付けたようにくすんでおり、発見当時の写真と比べると、色彩の鮮やかさが失われ、絵の輪郭がぼけたり、消えたりしている。「飛鳥美人」として名高い西壁の女子群像は焦げ茶色のかすみがかかったようにぼやけ、4人の顔も右から2人目以外は目鼻が見えない。

 また、発見30年を記念して02年に撮影された写真集で劣化が確認された白虎は、目の輪郭が不鮮明になり、口元や胸部などが見えなくなった。東壁の青竜は長い舌などの朱が色落ちし、前脚が消えた状態。後ろ脚を覆っている赤い泥部分には真っ黒なカビが広がっている。

 

国家的遺産を、むざむざと消してしまいまいした

私が基礎的な考古学を修得するときに師事した教授は、高松塚古墳の発掘現場で指示していらしたそうで、凄く自慢されてましたが

亡くなられたそうで、かの教授もさぞ心残りだろうと思います

30年間、科学が進化しなかったなんて事はないとは思いますが、

カビが見つかるまで、ほったらかしにしていた役人は、万死に値する

たかが、遺跡だと言うが二度と戻らない

謝るだけが役人の仕事だというのか?


2006-09-16 02:16  nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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共通の歴史認識はほど遠く [歴史]

韓首相「日本は拉致問題より先に慰安婦問題の解決を」

 韓明淑(ハン・ミョンスク)首相は14日、元慰安婦が住む京畿道広州郡の「ナヌムの家」を訪れた。

 韓首相はナヌムの家に併設された歴史観を見学し、「強制動員や拉致は北朝鮮であれ他の国であれあってはならない。日本は(横田)めぐみさんの話で堂々としていたいのであれば、韓国にいる数多くのめぐみさんのような方々の問題を先に解決しなければならないだろう」と述べ、従軍慰安婦問題の解決に消極的な日本政府を批判した。

朝鮮日報/NEWSIS


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2006-08-15 11:52  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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古代史 [歴史]

僕は学生時代、日本古代史を専攻していた

そもそも京都でも規模が大きいわけではない大学で

民俗学、考古学、古代史、中世史、近代史、近現代史、そして歴史地理学

これだけの研究室を設けているところは少ないそうだ。

当時の話だから、現在は仏教史学なんかもあるという話なのだが、何処までで来ているのか分からない

卒業して、10年以上経つともうどういう風になっているのか・・・。

何故古代史を専攻することになったのか?

2回生の時に希望を聞くのだが、第一志望を「古代史」、第二志望を「中世史」にしていた

幸いにして、第一希望が通ったわけだ

そこで志望理由というものを書いたのだ

「古代の内乱」というものだ

直前に手にしていた書籍の内容が「古代日本の王権を巡る争い」というものだった

大王家(天皇という名は天武朝以降に使用されている)というのはとみに血生臭い争いを繰り返し、大王という地位を得たのだ

内容は、雄略の粛正。

現在の皇室は男系が断絶しつつあるが(まだしていないし、僕自身は歴史ある男系にこだわった貰いたい)、古代史の中では多く皇室男子が殺されたりしている

こういった背景から、古代史を専攻したのだが、卒論のテーマはチョット違う方向に向かう

1年専攻している中で、古代日本史で最大の内乱

そして、大王家を二分した唯一の争いである「壬申の乱」をテーマに選ぶ

その中でも、僅か25歳で首をつって亡くなった天智の皇子「 大友皇子」を選ぶ事になる

古代史にしても、様々なテーマある

「 大友皇子」は、天智の後継者と為るべくしてなったわけではない

「日本書紀」によれば弟の大海人皇子が後継になる筈

ではなぜ、大海人皇子が後継となったのか?

これは定説になるのだが、この時代大王家は「世代間継承」が慣習として残っていた

中国王朝のように、世子継承の慣習は律令制定以降である


2006-08-13 01:02  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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若草伽藍は消失した創建法隆寺なの? [歴史]

法隆寺創建時の壁画片か 新たに80点出土

2006年06月27日22時25分

 04年12月に国内最古の彩色壁画片(7世紀初め)が見つかった奈良県斑鳩町の法隆寺で、同じ絵の一部とみられる断片約80点が新たに出土したと、同町教委が27日、発表した。前回の約60点と同様に高温で焼けた跡があった樹木らしい図柄が初めて見つかるなど、仏教絵画とみられる壁画の全体像を知る手がかりが得られた。また、柱に接していた跡がある壁土片なども一緒に出土したことから、壁画は大規模な建物の一部とみられ、670年に焼失した創建法隆寺(若草伽藍(がらん))の金堂や塔などの内部を飾っていた可能性が高くなった

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2006-06-27 23:36  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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日本人が選ぶ偉人100人を見ていたのですが・・・・。 [歴史]

途中で何度も睡魔に襲われ所々見てません

偉人の規定が「現在亡くなられている人」だけっていうのだから

偉人というより、日本人が好きな歴史上の人物って所じゃないですか?

ちなみに、水戸黄門が初めてチーズを食べたというのは全くのでたらめ

日本にほど近い西アジアで早くからチーズ文化が発祥していたこともあり、日本のチーズの歴史は意外なことにずいぶんと古くまで遡ることができます。モンゴルのチーズ「ウルム」に似た「正蘇」という乳製品に関する記録が、650年頃の『涅槃経』や『右官史記』という古文書、奈良の平城京宮遺跡、長屋親王邸跡から発見されています。
蘇の作り方は、6世紀頃に伝来した仏教とともに、中国や朝鮮からの使節や酪農技術を身につけた渡来民によって伝来したものと考えられています。

聖徳太子も食していたと考えられています
蘇は、平安時代には不老長寿・強精に効くと考えられていたため、現在のローヤル・ゼリー以上に貴重な食品として貴族階級で独占されていたようです。そのため、皇族や大臣の大餐の儀式兼宴会などには欠かせないものでしたが、武家時代に移るとともに、作られなくなってしまったようです。雪印チーズクラブより

徳川光圀が初めて食したというのは、現在の形のチーズという意味でしょうか?

こういう風に最近ろくに調べずに公共に流す放送が多い

徳川家康が三方原の戦いのとき、「空城の計」と呼ばれる策に武田信玄が偶然引っ掛かったと放送されていたが、これは創作とする意見の方が多い。

これは『三国志演義』の諸葛孔明の北伐で使われた「空城の計」から取られたものであるといわれています

このとき武田信玄は既に病魔に冒されていたという考えもあります

ドラマならまだしも、こういったプログラムの内容で流すのにはもっと検証してもらいたいとは思うんですけど


2006-05-07 23:40  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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