これは是非見てもらいたい [歴史]
明治27年(1894)に竣工した重要文化財「旧帝国奈良博物館本館」は、この夏「なら仏像館」と名をあらため、生まれ変わります。照明設備を一新し、作品の素晴らしさをより感じていただけるよう心がけました。展示されるのは、すべて館蔵ないしご寄託をいただいている仏像で、飛鳥時代から鎌倉時代にかけて制作された名品を中心としており、まさに「至宝の仏像」と呼ぶにふさわしい内容です。
同時に、長くお預かりしていながら、これまでなかなか展示の機会を得られなかった仏像にも登場していただくこととしましたし、近年の当館の調査研究により、これまで知られていなかった価値が見いだされたり、新たな位置づけが可能となった作品もあります。
東大寺からは、法華堂の国宝・脱活乾漆金剛力士像が出陳されます。もちろん寺外での公開は初めてのことです。奈良の地に仏教文化が最も栄えた天平時代を代表する雄偉な巨像の魅力をご堪能ください。
今後「なら仏像館」は、これまで以上に仏像ファンの皆さんの聖地となり、奈良を旅する方々の必ず訪れるべき場所となるよう、展示の充実に努力してゆきます。ひとりでも多くの方に、くりかえしご訪問いただくことを願ってやみません。
国宝 金剛力士立像(法華堂所在)[吽形]
東大寺所蔵 写真:飛鳥園
仏像マニアには堪らない朗報ですね。普段は薄暗い法華堂から、金剛力士像が出展されます。照明を一新したというお話ですので是非ご覧になってもらいたい。平城遷都1300年ですから尚更ですね
一致すればいいってもんではなかろうに [歴史]
asahi.com(朝日新聞社):奈良・箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 歴博測定 - 文化
古墳時代の始まりとされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築造されたのは240~260年という研究を国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)がまとめた。放射性炭素年代測定によるもので、250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重なる。畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石を投じることになりそうだ。
「魏志倭人伝」など中国の史書によると、卑弥呼は2世紀末~3世紀初め、それまで戦乱を繰り返していた倭国(わこく)(現在の日本)の国々が共通の女王として擁立。邪馬台国に都を構え、239年には中国・魏王朝に使者を送って皇帝から「銅鏡百枚」など多くの品々を贈られたとされる。
全長280メートルの前方後円墳である箸墓は、最大でも110メートルだったそれ以前の墳丘墓とは規模が大きく違う。強大な政治権力が誕生したことを物語り、時代の画期を示すものと考えられている。魏志倭人伝にある卑弥呼の墓と、箸墓の後円部の大きさが近いことなどから、古くから箸墓を卑弥呼の墓とする考えがあった。
考古学では、少し前までは4世紀の築造と考えるのが主流だった。宮内庁指定の陵墓で本体の調査はできない。周囲で出土した土器や他の古墳で見つかった鏡などを手がかりに研究が進み、3世紀後半と見る研究者が増え、卑弥呼との関連が注目されるようになっていた。
歴博は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。その結果、箸墓の堀や堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている「布留(ふる)0式」が使われた期間を240~260年に絞り込んだ。
31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協会の研究発表会で報告される。
正倉院展 [歴史]
謎はまだ解明されていない [歴史]
asahi.com:大王の石室支えた基盤発見 大阪・高槻の今城塚古墳 - 社会
大王の石室支えた基盤発見 大阪・高槻の今城塚古墳
「真の継体(けいたい)天皇陵」とされる大阪府高槻市の前方後円墳・今城塚古墳(6世紀前半、全長約190メートル)で、横穴式石室の基盤とみられる大規模な石組み遺構が見つかったと、同市教委が1日、発表した。石室は失われていたが、古墳は完成時に3段、高さは18メートル前後だったと推定される。これだけの規模は大王(天皇)墓以外に考えられず、同古墳が継体天皇墓であることがより確実になったとしている。天皇陵級の古墳で石室の基礎など、墳丘の内部構造が確認されたのは初めて。
ソ連に消えた貴公子 [歴史]
歴史認識の差は? [歴史]
日本側座長に北岡東大教授 日中歴史共同研究-話題!ニュース:イザ!
政府は、日中両国が年内に開始することで合意している日中歴史共同研究の日本側座長に、前国連次席大使の北岡伸一東大教授を起用するなどメンバー10人を内定した。
古代・中近世史は川本芳昭九州大大学院教授ら5人、近現代史は北岡氏ら5人が担当し、平成20年中の研究成果の発表を目指す。
歴史共同研究は、10月の
(1)両国10人ずつの有識者で構成する委員会の立ち上げ
(2)「古代・中近世史」と「近現代史」の2分科会を設置。
近現代史では戦争時だけでなく、日本の対中経済協力を含む戦後の日中関係も対象で、「歴史に対する客観的認識を深め、相互理解を増進させる」(外務省幹部)のが狙いだ。
川本芳昭教授とは、「魏晋南北朝」を研究されているかたで、所謂日本が初めて中国と交流した頃の中華を研究されているようだ
新人と旧人の混血? [歴史]
新人と旧人のハーフ?の化石を発見(ルーマニア)|☆★☆★☆ 古今チップス ☆★☆★☆ ~古今東西歴史遺跡化石ニュース~
ルーマニアで発見された約3万5000年前の人類化石から、ホモサピエンス(新人)と、ネアンデルタール人(旧人)が混血していた可能性があることが分かった。
ホモサピエンスは現代人の祖先で、ネアンデルタール人は3万年前ごろに絶滅している。[西日本新聞]
「古今東西歴史遺跡化石ニュース」というブログから面白い記事を見つけました
残念ながら、トラックバックもメールも不可だそうです。
で、ネアンデルタール人とは旧人と呼ばれながら、現生人類の祖先ではなく、別系統で進化した形だという結果がDNAからわかったそうだ。
北のひめゆり~悲劇は何処にでも [歴史]
戦後、自らの武器を捨てた日本に襲い掛かってきた・・・
悲劇の物語。
ソ連は『日ソ中立条約』がまだ有効であるにも関わらず、日本に宣戦布告をし、樺太、千島、そして北海道を
奪う為に軍隊を上陸させてきました。しかも、樺太の真岡においては、終戦後の8月20日。
ソ連は真岡の町めがけ艦砲射撃をし、なんの抵抗もしない一般住民に機銃掃射を浴びせ、虐殺を繰り返す。
真岡の日本軍は停戦を求める為に、軍使として村田中尉を送るが彼も殺害されてしまう。
長年の夢だった不凍港の獲得のチャンス。
軍使なんかの話を聞けば、そこで簡単に手に入る領土獲得の夢が途絶える・・・
皆20代前半、中には17歳、18歳の若き乙女も居ました。
だから、彼女達は用意していた青酸カリで自決の道を選びました。
男たちのドラマ。戦後61年目の姿 [歴史]