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北のひめゆり~悲劇は何処にでも [歴史]

戦後、自らの武器を捨てた日本に襲い掛かってきた・・・
悲劇の物語。



1945年8月8日
ソ連は『日ソ中立条約』がまだ有効であるにも関わらず、日本に宣戦布告をし、樺太、千島、そして北海道を
奪う為に軍隊を上陸させてきました。しかも、樺太の真岡においては、終戦後の8月20日。


日本軍は連合国に敗北し、武器を置いたのに、ソ連には目の前の日本の領土にしか興味が無かった。
ソ連は真岡の町めがけ艦砲射撃をし、なんの抵抗もしない一般住民に機銃掃射を浴びせ、虐殺を繰り返す。
真岡の日本軍は停戦を求める為に、軍使として村田中尉を送るが彼も殺害されてしまう。

ソ連にとって、軍隊の居ない日本は最高の餌食
長年の夢だった不凍港の獲得のチャンス。

無理も無い・・・
軍使なんかの話を聞けば、そこで簡単に手に入る領土獲得の夢が途絶える・・・





そんな日本軍も止むに止まれず、武器を再度取って国民を逃す為に立ち上がった。

でも、立ち上がったのはなにも軍人ばかりではありませんでした。



日本の為に最後の最後まで通信施設の機能を守った、9人の電話交換手
皆20代前半、中には17歳、18歳の若き乙女も居ました。

彼女達は日本の北海道に向けた、通信機能を最後まで守る為に命を捧げました

今までドイツや満州など、ソ連が占領した地域の女子供は辱めを受け、虐殺されて来ています。
だから、彼女達は用意していた青酸カリで自決の道を選びました。



彼女達は少しでも内地や北海道に正確な情報を伝える事で日本を守りたかったのでしょう。

そんな彼女達も靖国神社に祀られています


★★★★★★ 転 載 歓 迎!★★★★★★転載元: 目を覚まして日本人!


2006-09-17 11:20  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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