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歴史認識の差は? [歴史]

日本側座長に北岡東大教授 日中歴史共同研究-話題!ニュース:イザ!


政府は、日中両国が年内に開始することで合意している日中歴史共同研究の日本側座長に、前国連次席大使の北岡伸一東大教授を起用するなどメンバー10人を内定した。

古代・中近世史は川本芳昭九州大大学院教授ら5人、近現代史は北岡氏ら5人が担当し、平成20年中の研究成果の発表を目指す。


 歴史共同研究は、10月の

安倍晋三首相と胡錦濤国家主席の首脳会談で合意。11月の日中外相会談で

(1)両国10人ずつの有識者で構成する委員会の立ち上げ

(2)「古代・中近世史」と「近現代史」の2分科会を設置。

近現代史では戦争時だけでなく、日本の対中経済協力を含む戦後の日中関係も対象で、「歴史に対する客観的認識を深め、相互理解を増進させる」(外務省幹部)のが狙いだ。


川本芳昭教授とは、「魏晋南北朝」を研究されているかたで、所謂日本が初めて中国と交流した頃の中華を研究されているようだ

前漢中国の王朝の一。秦の崩壊後、項羽を倒して、漢王劉邦(高祖)が建て、武帝の治世を経て、平帝の時、王莽(おうもう)の簒奪により滅亡。都長安が後漢(東漢)の都洛陽の西にあったから西漢ともいう。(前202~後 8)

中国の王朝の一。前漢末、新都侯王莽(おうもう)が簒奪して建て、漢復興をめざす反乱によって滅ぼされた。( 8~23)

後漢中国の王朝の一。前漢の景帝の6世の孫劉秀が王莽(おうもう)の新朝を滅ぼして漢室を再興、洛陽に都して光武帝と称してから、献帝に至るまで14世。前漢を西漢というのに対して東漢ともいう。( 25~220)⇔前漢。

この頃は日本は弥生時代と呼ばれ、所謂大和朝廷が日本の中心となる時期の前段階の時代だとされている

一般的に言われる『魏志』倭人伝に出てくる邪馬台国の卑弥呼は、中華と交渉し、「親魏倭王」という金印をちょうだいしたらしい

しかし、金の存在は確認されておらず、その際下賜された銅鏡100枚の存在も確認されてはいない

「三角縁神獣鏡」という銅鏡がその鏡に否定されてはいるが、未だに確固たる確証を得ることが出来たという話は聞いていない

下賜されたのだから、中国で制作されていた物と考えられているが、未だその鏡は中国で発見されていないと言うのも大きな落とし穴だ

古代の歴史観はそれほど違いはないと思われる

と言うのも、古代の日本において中国の書物は必要不可欠だからだ

しかし、現代史となるとどうだろうか?

中国共産党が制作したプロパガンダ雑誌、日本側が流した検閲された情報が溢れていた日中戦争当時の書物は、歴史を読み読み解くには難しい面もあるとは思う

果たして、歴史の共同研究という物が本当に必要なのだろうか?

意見を聞くことはしなければならないが、共同研究となると意見を取り入れなくてはならい。その取捨選択がこの研究会で出来るのか?

結局玉虫色的に、落ち着くのならあまり意味のないことなのだが。

結局政治的な解決。と言うことになる?


2006-12-02 21:43  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
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